2005年05月23日

冷静と情熱のあいだ

時間:数えることより、過去と今どころと未来の違いが分かる方法である。しかし、その単位が年齢によって違うだろう。例えば、5歳の時、1年は自分の人生に対して、5分の1の長さだが、50歳になると、本の50分の1ことになる。詰まり、「光陰矢のごとし」ということより、月日が経てば経つほど、短くなることである。
現実:心理学によると下から、自分の経験や期待していることが上に向かっているつつも、上からの視覚や聴覚や感覚などが下がる。その間に合わせて、現実ということになる。
しかし、子供は経験や期待することは少ないので、感覚のほうに影響されている。その一方、大人は、経験や期待のほうが影響されているだろう。または人によって、人生の経験や遺伝子が全く違うから、もしかして、皆はそれぞれ自分の現実を持っているか?

現在:最近カフェインを飲み過ぎないように注意しているから、お茶50種類もある陳列棚でカフェインがないのを探している。店員さんに聞いてみることにする。
「カフェインが入っていないお茶がありますか?」
「あいにく2つしかありませんが、こちらの「冷静」とこちらの「情熱」でございます。」
「。。。」呆然と、ブツブツで「まさか。。。」
情熱:
去年の夏は情熱の味が今ちょっとしか残っていない。神戸でファストデートで、観覧車に乗りながら、美しい夜景を見つめて、初めて抱きしめ合った。ちょっとドキドキしていたが、突然心から身体全体暖かくなった。彼女の目をよく見て、何かを探していたが、結局瞳で私の顔と外の星がしか映っていなかった。空からその星が落ちて、天下あちこちに集まっていた。琵琶湖の花火大会で、人間はその星を打ち上がってみたが、またボンと落ちてしまった。七夕の夜、一緒にお願いごとを書き込んで、「ずっとずっと一緒にいられますように」。近くの川に行って、水に流した。そして、8月10日。最後の日。関西空港で彼女が泣いてしまった。これは情熱だ。この夏は
「お客様。。。」
冷静:
その夏は留学の終わりなんだ。帰国したら、遠距離に入って、結構辛かったけど、「i'm not gonna let a silly little ocean get between us」主義で、二人も頑張っていた。それから、クリスマスやっと京都に戻れたが、情熱の夏となんか違う気がした。山に囲まれた京都は真っ白くて、空がクーレの曇りで、星がなかなか見えなかった。彼女とやっと一緒にいれたのに、結構寒い冬なと感じないではいられなかった。最後にイタミ空港で出発する前に、一緒に昼食を食べることになった。あまり美味しくなさそうな麺類の店に入って、座って、彼女から手紙と「冷静と情熱のあいだ」という小説二冊を貰った。小説に対して、色々を説明してくれたが、(私は)その時意味あまり結んでいないと思っている。それから、ハグして、別れて、飛行機に乗って、あっけ帰国しなかった。
「あの、お客様。。。」
実はそれは彼女と最後の食事だった。最後の出会い。最後のハグ。そのイタミでは。帰国したら、3ヶ月くらい経つと、薮から棒のようにいきなり振られた。理想な配偶者がやっと見付けたと信じ込んでいた私は、かなりショック受けた。理解が出来ず、納得を得ず、どうも人生が進めれている。
「お決まりですか?」
数週間前振られた事件なので、もう回復したと思っていたのに、簡単にカフェに入るとイタミの気持ちが戻るなんてどういう意味なんだろう?冷静と情熱の間なんだ。まさかその小説の内容を通して、何か伝えたかったことがあったんだろうか。理想な恋も遠距離も結局別れてしまった話で、全部が揃ている。イタミで別れた時彼女が全然泣きなかったし。その時もう気持ちが冷めたんだろう。その時私を捨てることもう決めたに間違いない。
「どちになさいますか」と店員さんに聞かれること、やっと気が付いた。私のボッとしている間にちょっと行列になってしまった。現実なんだな。
「あっ。じゃ、情熱一杯ください。」とあまり考えず、注文した。
情熱一杯に少々ミルクを入れて、色の変化をじっと見ていた。不明になったな。「冷静と情熱のあいだ」の本当の意味を知りたかったが、実は全く関係ないみたい。結局お茶の選択は偶然だった。小説の内容も偶然だ。イタミ空港の場面のすべて、偶然なんだ。こんなに偶然なことが重ねても、ただ普通に振られたことがはっきりわかった。
人間にとって、事実というのはあまり大切なものではないかも知れない。それより世の中の物事とか、されることを納得できるのは幸せになる道である。自己現実は自然な人性の一分だ。もしそれがないと、人生が成長できなくて、進めないだろう。

Posted by sach at 04:07 | Comments (0)